出会い
私が民族運動を始めたのは、平成13年の5月頃のことでした。
私は、ガキの頃からとにかくヤンチャでしたので、小学校の高学年から中学に入学する頃には、すでに横道にそれ、3年間の中学生活においては、世間で言うところの悪事はなんでもやりました。。近所でも後ろ指を指されていたのは言うまでもありません。高校進学など考えたことも無く、将来の夢と言えば漠然と「おっきな男になりたい!」これだけでした。しかし、その頃から私は反権力と言いますか理不尽なことで頭を下げるのが嫌いで、そのせいで先輩方からは生意気な奴と思われていたみたいです。
中学を卒業しても全く反省の色無く,卒業後間もなく16歳で当然のように渡世入りし、部屋住みをしながら、アウトローの世界でやりたい放題^^ 自由の無い拘禁生活等、人に言えないことなど山ほどあります。まあ、ここではあまり書けませんので・・・
そんな私も18歳の時に今までで一番惚れた女が出来まして、それが私の家内です。その後、二人の子供を授かり、少しは大人になりましたが、それでも相変わらずのやりたい放題(^^)
相変わらずの反権的な性格で、若い者を集めて自警団を結成し、各機関に対して抗議行動を起こしたりしてました。
そして13年の5月、知り合いの紹介で八尾の皇義塾の塾長と知り合いました。皇義塾は國際反共聯盟に所属する京都 亀岡の「平成維新社」に属する団体で塾長は平成維新社の総隊長を務めておられました。当時、渡世から身を引いて自由な立場だった私は、すぐに皇義塾に入塾し、水を得た魚の様に運動に参加しました。運動に出ればマイクを握るのが快感で、今までの反権生活で溜まっていたうっぷんを晴らすかのように叫び続けましたよ(^^)
そして、地元四條畷に皇義塾 北大阪支部を旗揚げし、ますます民族運動にのめり込んで行ったのであります。
1年後、皇義塾から上部団体である「平成維新社総本部」の行動隊長に昇進し、会長と共に北へ南へ全国的に運動を展開して参りました。
前列左から私、会長、総隊長(皇義塾 塾長)
その後、「平成維新社総本部」の本部長になって、運動の仕方が自分の中で変わって来ました。今まで街宣車に乗ってマイクを握り、己の気持ちをただ叫んでいただけの運動から、道行く人に優しく問いかける様な話し方に変わって来たのです。
そして、平成15年9月、私は会長からの進言で「護國赤心隊」を旗揚げしたのであります。
その頃の私の肩書きは、
平成維新社総本部 本部長 護國赤心隊 代表 であります。
会長からは総隊長率いる「皇義塾」と私、本部長 が率いる「護國赤心隊」が両輪となって「平成維新社総本部」を盛り立てて行ってくれとのお言葉を頂きました。
お金に余裕の無い私は、なけなしの金を投入して、大阪ナンバーで登録できるガソリン車のトヨタ ハイラックスサーフを購入し、街宣車を製作したのであります。
長くなりましたので、続きは後日ということで・・・


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